聖女伝 シナリオ紹介

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サレナ記 第1幕

 

(製品版と若干表記が違う場合があります)

 

 西暦64年、ローマ。

サレナ「お父様・・・。お体のお具合はいかがですか・・・。」(0101)

 先週床に伏せられてからめっきりと痩せられてしまったお父様の手を取り、優しく話しかける。

 お父様はまだ老衰で死ななければならないというほどのお歳でもないが、割と人生の黄昏になってから私を授かったので、私ぐらいの年の女の父としては随分老けていた。

ガイア「すっかり・・・、すっかりよくな・・・ゴホッ・・・。うんうん。・・・よくなってはいないかな・・・ハハハ。」

 お父様の愛嬌のあるしぐさが愛らしく、一緒になって笑う。

 このガイア・シニウスの邸宅には、跡取りの長男こそいなかったが、今ローマ市を巡る恐ろしい、世の崩壊の時代のような不幸からは無縁の、安息と幸福に満ち足りた世界があった。

 私の父ガイア・シニウスは貴族の家系に生まれ、私の生まれる前、若い頃にビテュニアの総督になり、小アジア一帯の安定に努められた。

 ローマに戻ってからはビリタニア遠征にも参加し、多くの武勲の中、終生元老院の誉れを授かった。

 今は病に伏せられて体がほっそりとした印象があるが、かつては片手で軽々と私を持ち上げたものだった。

 私もお父様の血筋のもと、健康にも何の落ち度もなく、世間の女性よりも頑丈に育ってきたと思う。

 幼い頃、一人で勝手に外出をし、街一番の大きな酒場の裏街道や、市内の中心にある広場の露店のわきなどにかくれたりして、お父様を困らせたことがあった。

 その癖は今も余り変わらず、今でもひとりで街外れまで用もなく「冒険」したりする。

 チャンスを見つける度に、私はローマの郊外にまで足を運び、一帯に広がる豊かな草原、偉大なるアルテミスが授けてくださった恵みを目の当たりにし、感動するのだった。

 すると決まってお父様はひどく狼狽され、奴隷達に私の捜索隊を編成させ、街のいたるところまでくまなく派遣し、私を見つけ出すのだ。

 父は何度も男の子を、つまりは私の兄に当たる人物をはやり病や事故でなくしてきた辛い経験があるので、より一層私のことがかわいくてしかたがなかったのだろう。

 お父様は死に至るような病ではないが、ここ数年ずっとこの肺のご病気に悩まされている。

 そのため、あの光の君、ネロ・クラウディウス・カエサル様がご即位なさるのにあれほど貢献したのに、その即位後は宮廷に参内することもかなわず、こうして政治から遠い場所にいる。

 しかし、私の女の身で詳しいわけでもないが、今のローマの政治は目を覆いたくなるほど荒み、地を這い出る獣よりも恐ろしく、

宮廷にはハデスの友、タナトゥスの僕がたむろし、血なまぐささだけが充満しているとも聞く。

 皇帝お一人が神性を発揮されても、この堕落しきった世界最大の都は、内部から腐ってきているのだという。

 だから、お父様がそうした謀略の渦、腐乱の園から、病気が理由とはいえ遠ざかり、この平穏なお家で安らかに私と過ごしていることを、私は幸せに思っているのだ。

 お父様にとってもきっと良かったのだと思う。

ガイア「・・・こうして・・・、また伏せって1週間になると・・・。院に暇乞いをしなければならないし・・・。また宮廷からも足が遠のくことになる・・・。

・・・。私も年頃の娘を持つ父親として・・・。お前の社交を広げ・・・。お前の将来の幸せを十分に世話し、その道筋を・・・

 親の愛の絨毯でひきつめてやらねばならないのにな・・・。

 ウィリゲラのところにも・・・。何度も行かねばならない。

 ウィリゲラの若い頃を知っているが・・・、奴はかなりの飲んだくれだった。前の日の晩に羽目を外しすぎて、敵と交戦中の真っ只中に、剣をすっぽりと落としてしまったこともある。

 せがれはずっとまともなようだ。ただ・・・。まだ十分な戦争を知らないようだが・・・。穏やかな青年だから・・・、きっと良いローマ市民・ローマ貴族になるだろう」

サレナ「お父様は・・・何もご心配なさらないで・・・。アクラエル様は、本当にご熱心に私に会いに来て下さいます。(0102)

 その度にお父様にもお目通りしていただくようにしていますが、それでも通りがけで立ち寄られた時などは、お父様にもいちいちご面倒をかけずに、お母様と三人で、談笑したりしてますのよ。(0103)

 アクラエル様は立派な軍人の身体をお持ちですが、争いごとは嫌いで、本当に安らぎに満ちた方ですの。」(0104)

 お父様は世間一般の父が、愛する娘とその恋人・婚約者に持つ独特の執着心と敵愾心からは自由だった。

 自分が病気で自由に動けないというのもあるかもしれない。いずれにせよ、父親にふさわしい開かれた心で、私の行く末を案じてくれている。

 丁度ふたりで話していたその矢先、奴隷の一人がその若い君の来訪を伝えてくれた。

 お父様の病ははやりのものではないので、人忌みは特にしていない。

 アクラエルもそういった性質の病ではないことは重々承知しているので、婚約者の父親に接する礼儀正しさと距離感、緊張感をもって父の前に現れるのだった。

アクラエル「お体のお具合はいかがでしょうか。シニウス様・・・。」

 建物の光の反射ですら日焼けするローマ人の中でもとりわけアクラエルは色白で、その肌はある種女性のそれを思わせる繊細さと柔らかさがあった。

 気品に満ちたその声でこの男が父に話しかけると、父は愛想よく応じた。

 父が政治の第一線から遠ざかり、私と母はそうしたものに疎く、この青年から入ってくるたよりだけが、砂の要塞のように不確かで壊れやすいローマの現状を知る唯一の手段だった。

 アクラエルが話す中身には、皇妃オクタヴィアが残虐な謀反と策略によって殺害されたこと、

 ネロ帝はそれを深く悲しんでおられるが、その不幸を乗り越え善政に励まれていること、

 誰彼が反逆したがすぐに死刑になった、誰某が深い罪を犯したがすぐ死刑になった、など、

その話す中身には名前を聞いたことのある著名人から、遠い縁の親戚などがのぼったが、多くの場合、人の死のたよりが多かった。

 父は、今は皇帝も若く、どうしても権力を目当てにローマを分かつ勢力も多く、そのための自浄作用は仕方がないと言っているが、

それでも親しかった元老院議員や名だたる軍人が、多くの不遜な罪によって死刑にあっていることを嘆いておられた。

 アクラエルはそういう話をするときに青白い顔をするときもある。この青年も非常に平和好きな、争いを嫌う性質なのだ。

 お父様をあまり疲れさせてはいけないので、アクラエルをアトリウムに通し、会話を続けた。

アクラエル「うちの父も、シニウス様のお体のことを気に申しています。

 シニウス様のご健康が優れれば・・・。ぜひ、君との結婚式を・・・。多くの人の祝福の中に開きたい。」

サレナ「はい・・・。お父様のご病気は、いつも春になるとずっとよくなるのです。ですから、后妃(こうひ)様の弔慰(ちょうい)の期間を過ぎて・・・。来年の春頃が・・・。一番いい時期ではないかと思います。」(0105)

アクラエル「ああ!うん。 愛しいサレナ、僕もまさにそう思う。

 ローマの偉大な神々と聖君ネロ・カエサル様の名に代えて、ローマ市の歴史に残る壮大な式を準備したい!」

サレナ「ありがとうございます。でも、私はそれほど豪奢(ごうしゃ)な式を望んでいるわけでもありませんの。ただただ世の皆様に・・・、私とアクラエル様が愛によって結ばれたことを・・・。知っていただければそれでいいと。」(0106)

アクラエル「そうだね!そうだ。 君の言うとおりだ、賢いサレナ。

 君が船上で1000人の奴隷とともに式を挙げたいと言えばそうするし、地下牢でふたりきりで挙げたいと言えばそうするよ!」

 どうして結婚式を地下牢で挙げたりするのだろうか、と思いながら、アクラエルのこうした世間知らずな、

しかし私を楽しませようとたまに言う冗談のような言葉が面白おかしくて、私はつい声を出して笑ってしまった。

 アクラエルは私の笑顔を見ると、それこそ朝日を得た大地のように明るく晴れやかになり、照れるように顔を赤らめながらも、喜びを隠し切れないといったようなはにかみを見せる。

 アクラエルとはその後、アトリウムに咲く花々に、どんな精霊が、どんなローマの神々が宿っているかなどについて、

二人ともあまり神話については詳しくない拙い知識ではあったが、想像しながら物語をつくったりして談笑した。

 アクラエルの創造力はお世辞にも豊かとはいえなかったが、その分愛嬌に富み、私にはとても面白い話のように聞こえた。

 アクラエルを送り出し、再び我が家にいつもの静寂が訪れると、私はまだ夕食にも早く、かといって編み物や入浴などをする気にもなれず、

何かに導かれるままにアトリウムを、元老院議員邸にしてもなかなか立派で広大なアトリウムを、一人散歩していた。

 空はやや曇りがちで、黄昏にしても暗かったので、少しでも降り出したら建物の中に戻ろうと考えていた。

 すると、雨とは明らかに違う、獣が動くようなゴソッという音が、私の眼前でした。

 「犬だ」と私はとっさに思ったが、すぐに叫んで逃げ惑うのもはしたなく、近くに誰か奴隷がいないかを探した。

 あいにく雨が降りそうな天気だからなのかアトリウムには誰もおらず、大きな声を出せばようやく届くぐらいの遠く、邸宅の勝手口に当たるところに一人奴隷がいるだけだった。

 それを呼ぼうとしたが、元来の好奇心で、その犬が逃げ出す前に顔だけは一応見ておきたいと、黙って、そのまま音のした茂みに用心深く近づいていった。

 犬が吠えたらすぐ逃げ出せるように、腰を引きながら。

 しかし、犬よりも更に私を恐怖させる、怖いしるしが目に入った。それは布であった。

 あきらかにその音の主は衣服を着ていた。すなわち人間だ。盗賊か、乞食か。

 更に近づくと、老人のように背を丸めた小柄な男が、私の庭園の木の実を食べていたようだった。

 服はボロボロに汚れ、しかも鞭で打たれた痕が痛々しく残っており、服はところどころ赤く染まっている。

 ローマでは10歩行くごとに一人見つかる、典型的な乞食だ。

 私は大声をあげて人を呼ぼうとしたが、その男が私に気づき、すがってきた。

「お嬢様! どうかご慈悲を!

 私は盗人でも乞食でもありません・・・。ついでに言えば奴隷でもありません。

 人の情けでここにおり、わずかな時間のお休みをいただきました。

 しかし、もちろんこのお屋敷はお嬢様とそのご家族のもので、あなた様方に先にお許しをいただかないままにこうしてお庭を汚しておりますことに、深くお詫びを申し上げます。

 ほんの少しだけ。夜がもう少し更けるまでここに置いていただければ、私はすぐに去ります。二度と参りません。」

 奴隷のうちの誰かが招いたのだ。主人に内密で人を匿い、主人の財産とも言える果実を勝手に与えるとは重罪だ。

「どうかお家の召使、奴隷をお責めになりませんように。 私が無理をしてここに入ったのですから。

 今私が口に含んだ果実の代金もきっと明日お持ちしますから。」

 盗賊にしては謙虚で道徳的な物言いに感謝をしながらも、乞食が自分の家に、自分の知らぬ間に勝手にあがりこんだ不快感は隠しようもなかった。

 しかし、彼が奴隷でないといったことについて若干興味が生じた。

サレナ「・・・。

 あなたは奴隷でないとおっしゃいましたが、・・・それならばどうして、鞭を打たれた痕(あと)が、あなたの背中にありありと残っているのですか?」(0107)

 残っているというか、まさに今日鞭を打たれたのではないかというぐらいの鮮やかな血の色をしていた。

「神が私を鞭打った人々をお赦しくださいますように・・・。

 お嬢様、私はキリスト教徒なのです。」

 そのみすぼらしい男の言う声を聞いて、愕然とした。

 世間知らずのサレナでも、東方で急速に拡大しつつあるその新興宗教のことは耳にしていた。

 いわく女子供を容赦なく殺戮し、信徒同士の悪辣な姦淫にふけり、ロバを拝み、ローマの神々の彫像に糞を塗りつける。

 おぞましい、おそろしい噂を聞いていただけに、そんな悪辣の徒が私のすぐ眼の前にいると思うと、今度はすくんで声も出なかった。

サレナ「・・・。それでは・・・あなたも・・・。生まれたばかりの子供に石を飲ませ・・・、殺したりするのですか・・・。」(0108)

「なんですって!」

 その男は、生まれて初めてそのような見当違いを聞いた、と言わんばかりの驚愕の表情で私を見つけてきた。

 老人かと思ったが、顔立ちから青年の年頃だと思われた。顔にまだ子供の頃の名残を残している。

 埃で髪が汚れ白髪のように見え、うずくまっているので腰が折れているように見えただけなのだ。

 年の割りに落ち着いた口調のその小柄な青年は続ける。

「そんなことは決してありません。キリストの教えに最も反することです。それは新しい教えが広がる時にありがちな、古い勢力が流した嘘と妄言なのです。」

サレナ「そうですか・・・。それならば良いのですが・・・。」(0109)

 サレナも自分で現場を見たわけでもなく、それほど確信を得ている情報でもないので、青年の瞳の純粋な輝きに負けて、彼の言葉を信じることにした。

「どうかお嬢様。私がここに入ったことについて、奴隷達をお責めになりませんように。私を哀れんで、してくださったことですので。」

 他の貴族ならば自分の家の奴隷の躾について口出しするのは無礼なことなので怒り出したかもしれないが、私は素直にその進言を聞いてあげることにした。

サレナ「お可愛そうな方。私はあなたの信じる神々のことをよく存じ上げませんが、とにかくあなたは傷つき疲れています。(0110)

 今のローマにはそういう人が沢山いますが、あなたは私の奴隷が許して家にあげた客人です。(0111)

 どうか傷が癒え、空腹が満たされるまで、私の家でごゆっくりなさい。」(0112)

 男はディアナを崇め奉るような感激の表情を私に見せ、両手を手に組んで祈っているようだった。

「あなたに神の祝福がありますように。あなたのような慈悲深い人に会えて幸せです。」

 乞食に施しを与えると際限がないと皆からよく言われていたが、目の前の異教徒はそれほど悪人にも見えなかった。

 二人は一緒にアトリウムから居間へあがり、その青年は奴隷に連れられて、奴隷達の食堂へ行ったようだった。

 

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